2018年のあの答弁を覚えている方は、いまでも少なくないはずです。サイバーセキュリティ戦略を所管する大臣が国会で、パソコンを自分で使うかと問われ、「使う場合は穴を入れるらしいが、細かいことは私はよくわからない」と答えました。USBメモリを「穴に入れる」と表現したこの一幕は、海外にまで報じられ、日本の政治の中枢にいる人々のデジタル感覚を象徴する場面として記憶されました。

それから8年。同じ国会という建物の一室で、まったく逆の光景が生まれていました。与野党の現職議員が、自分のノートパソコンに向かい、自分の手でAIを動かし、自分が過去にした国会質問を少年漫画風の作品へと変換していたのです。

安野貴博 国会議員向けAI勉強会 Executive Summary(情報図解)

この対比が示すのは、技術論でも世代論でもありません。組織にAIが根づくかどうかを決める本当の律速は、現場が使うツールの優劣ではなく、意思決定する側の人間が一度でも自分の手で技術に触れたことがあるかどうかにある——その一点です。

「穴に入れるらしい」から8年、議員がAIで漫画を作る国会

桜田義孝サイバーセキュリティ担当大臣(当時)の答弁が問題になったのは、知識の有無そのものではありませんでした。問題は、国のサイバー政策を方向づける立場にありながら、その対象を自分の経験として一切持っていなかったことです。穴に入れる、という比喩は、技術が他人事のまま意思決定の場に運び込まれていることを、これ以上ないほど鮮やかに映し出していました。

意思決定層が技術を自分の経験として持っていないとき、政策や戦略は伝聞の上に積み上がります。「らしい」「だそうだ」という又聞きの言葉で組み立てられた判断は、どれだけ資料が分厚くても、肝心なところで手触りを欠きます。

2026年6月25日、その構図にひとつの転機が訪れました。この日、国会内で開かれたのは、現職の国会議員に向けた初めてのAI勉強会です。講師を務めたのは、AIエンジニアでありSF作家でもある安野貴博氏でした。

スライドを使って概論を語る研修ではなく、議員自身がその場でAIにコードを書かせ、制作物を作り上げるハンズオン形式でした。参加した議員のひとりは、AIに対して「衆議院議員の国会質問を少年漫画風にしてください」と指示を出し、自分の質疑を題材にした作品をその場で完成させました。

8年前に「穴に入れるらしい」と語られた技術が、いまや議員自身の指先から作品を生み出す道具になっている。この落差こそが、今回の勉強会の意味を物語っています。

変わったのは技術の進歩だけではありません。意思決定する側が、技術を「見る」立場から「触る」立場へと一歩踏み出した。その移動が起きた場所が、ほかでもない国会だったという事実に、注目する価値があります。

定員20人に約50人——「触る場」への渇望が数字に出た

この勉強会には、自民、日本維新の会、国民民主、中道改革連合、参政の5党から、計24人の国会議員が参加しました。所属政党も立場も異なる議員が、同じ部屋で同じツールに向かったことになります。

もっとも注目すべきは応募の数です。定員20人に対して、約50人が手を挙げました。実に定員の2.5倍。

この数字は、議員の間に「AIを自分で触ってみたい」という渇望が、想像以上に強く存在していたことを示しています。

主催した安野氏は、「きょう来られなかった人向けにやるということも考えたい」と述べ、2回目以降の開催に意欲を見せました。一度きりのイベントではなく、継続的な学びの場として育てる構想がそこにはあります。

ここで見落としてはならないのが、勉強会の形式です。これまで政治の場でAIが語られるとき、その中心はほとんどが規制論か概論でした。AIをどう規制するか、リスクをどう抑えるか、社会にどう影響するか——いずれも重要な議論ですが、AIそのものを自分で動かした経験を前提にしていません。

今回の勉強会が新しかったのは、その前提を覆した点にあります。テーマは「バイブコーディング」、すなわちAIにコードを書かせる手法でした。

議員は受け身で説明を聞くのではなく、自分の手でAIに指示を出し、出力を受け取り、また指示を重ねる。この往復のなかで、AIの実力を肌で確かめていったのです。

安野氏の言葉が、この勉強会の狙いを端的に表しています。

AIがこれくらいできるのだと知っておくことが、いろいろな政策を考える上で重要

知識として「AIにはこういう機能がある」と聞くことと、自分の手で動かして「ここまでできるのか」と実感することの間には、決定的な隔たりがあります。前者は伝聞のままですが、後者は経験として体に残ります。安野氏が狙ったのは、まさにこの伝聞から経験への転換でした。

応募者が定員の2.5倍に達したという事実は、その転換を多くの議員が待ち望んでいたことの証拠です。研修資料を増やしても、外部講師の講演を重ねても満たされなかった何かが、「自分で触る」という一点に集約されていたのだと考えられます。

なぜ「手を動かす」が効くのか——参加議員の声

手を動かすことが、なぜそこまで効くのでしょうか。参加した議員たちの声が、その答えのいくつかを示しています。

日本維新の会の阿部司衆院議員は、AIに「衆議院議員阿部司の国会質問を少年漫画風にして下さい」と指示を出し、自分の質疑を題材にした作品を作り上げました。そのうえで、「自分で作るのが大変なものをAIに任せて、どんどん効率化させていくという意味で、すごく新しいツールとしても役立つ」と評価しています。

この発言には、概論を聞くだけでは決して生まれない手触りがあります。「効率化に役立つ」という抽象的な理解ではなく、「自分で作るのが大変なものを任せられる」という、自分の仕事に引きつけた具体的な理解がそこにあるからです。

概論で終わらせない——自分の仕事の素材を使うことの意味

阿部議員が題材にしたのは、一般的なサンプルデータではなく、自分自身の国会質問でした。ここに、ハンズオンが効く理由のひとつが隠れています。

他人の素材を使ったデモは、どれだけ精巧でも「よくできた他人事」のまま終わります。しかし、自分の仕事の成果物が目の前でみるみる形を変えていくとき、AIは突然、自分の業務と地続きの道具に変わります。「これは自分の仕事に使える」という確信は、自分の素材が動いた瞬間にしか生まれません。

座学のままでは、「AIはよくわからない」「なんとなく怖い」という漠然とした感覚がいつまでも残ります。ところが、自分の質疑データが目の前で漫画に変わるという体験は、その感覚を一気に塗り替えます。

わからないものが、扱えるものに変わる。この質的な転換は、スライドを何枚めくっても起きません。

超党派という「横で同僚も触っている」環境設計

もうひとつ見逃せないのが、この勉強会が超党派で開かれたという点です。

中道改革連合の大森江里子衆院議員は、超党派開催をこう評価しました。「よりハードルが下がったというか、超党派で行っていただけたので、色々な各政党の方たちと一緒に話しながらできたので、すごくいい機会」。

ここで語られている「ハードルが下がった」という感覚は、技術の難易度の話ではありません。心理的な障壁の話です。

新しい技術に最初に触れるとき、人は失敗を恐れます。とりわけ立場のある人ほど、「自分だけがわかっていない」と見られることを避けたがります。

ところが、横で他党の同僚も同じように手探りで触っているとなれば、その恐れは大きく和らぎます。誰もが初心者である場では、わからないことを認めるハードルが下がるのです。

党派を超えて同じツールに向かうという環境設計は、偶然の産物ではなく、心理的な障壁を取り除く周到な仕掛けだったと見ることができます。学びを個人の努力に押し付けず、場の設計によって踏み出しやすくする。この発想は、政治の世界にとどまらず、あらゆる組織のAI導入に通じる知恵です。

なお、こうした超党派の動きは突然始まったものではありません。今回の勉強会に先立ち、2025年10月15日には、安野氏と平将明デジタル相が共同代表を務める超党派の国会デジタル化勉強会が発足しています。自民、チームみらい、立憲民主、公明、維新、国民民主の6党が役員として名を連ね、政党の垣根を越えてデジタルとAIに向き合う土壌は、すでに準備されつつありました。

トップが学ぶ側に回ることのメッセージ性

議員がAIに触れることの意味を、もう一段引いて眺めてみます。

いま日本では、立法と行政の双方でAIが制度の中核に据えられつつあります。2025年5月28日にAI推進法が成立し、同年9月1日に全面施行されました。過剰な規制を避け、罰則を設けず、推進を旨とするこの法律のもとで、AI戦略本部が設置されています。

さらに同年12月23日には、「信頼できるAIによる日本再起」を掲げた人工知能基本計画が閣議決定されました。AIはもはや一部門の技術課題ではなく、国家戦略の柱になっています。

このような局面で、政策を立案し審議する議員が、AIを伝聞でしか知らないままでよいはずがありません。規制の設計も、推進の方向づけも、対象を自分の手で動かした経験があるかどうかで、その精度は大きく変わります。

行政が走り立法が追う——意思決定層の遅れが制度設計の質を縛る

興味深いのは、行政の側がすでに先行していることです。

2026年5月27日、参議院本会議で、松本デジタル相がデジタル庁開発の生成AI業務補助システム「源内」を使って作成した答弁案を、本会議で初めて活用しました。さらに政府は、この源内を通じて、2026年度に全省庁約18万人の職員が生成AIを利用できる体制を整える計画を進めています。

行政が組織として生成AIを業務に組み込もうとしている一方で、立法府の側はようやく勉強会という形で第一歩を踏み出したところです。この「行政が走り、立法が追う」という構図には、ひとつの教訓が含まれています。

意思決定層が技術に追いついていないとき、制度設計の質はその遅れに縛られます。AIをどう規制し、どう推進し、どう社会に実装するかを決める人々が、その対象を経験として知らないままでは、議論はどうしても伝聞の域を出ません。今回の勉強会は、その遅れを取り戻そうとする立法府の自覚の表れだと読むことができます。

海外は「議員研修」を制度化——日本の勉強会が単発で終わるかが分岐点

視野を国外に広げると、意思決定層のリテラシー底上げは、すでに国際的な潮流になりつつあります。主要国はそろって、議員や利用者のリテラシーを個人の心がけではなく制度として担保しようとしています。

  • 英国議会は2025年、全議員を対象としたAI議員研修「AI Parliamentary Scheme」を初めて開始し、AIに関する委員会も整備しました。議員がAIを学ぶ仕組みが制度として組み込まれています。
  • 米国では、下院の超党派AIタスクフォースが2024年12月17日に最終報告書を公表し、66の主要知見と85の提言のなかで、AIリテラシー教育の重要性を強調しました。
  • EUでは、AI法第4条が2025年2月2日に適用開始され、AIシステムの提供者と利用者に対し、「十分なAIリテラシー」を確保する義務を明文で課しています。

これらに共通するのは、手を動かして学ぶ機会を、偶発的なイベントではなく恒常的な仕組みとして埋め込もうとする姿勢です。その方向に世界は動いています。

この国際的な文脈に照らすと、今回の日本の勉強会には、ひとつの分岐点が見えてきます。それが単発のイベントで終わるのか、それとも継続的な研修の仕組みへと育っていくのか。安野氏が2回目以降の開催に意欲を見せていることは後者への意思を示すものですが、それが制度として定着するかどうかは、これからの取り組みにかかっています。

もっとも、ハンズオンが万能だと考えるのは早計です。議員がAIを触ること自体には批判の声もあります。

国政に関わる機微なデータを扱う場面では、どのデータをどう安全に扱うかという設計が先に整っていなければ、手を動かす体験はかえって危うさをはらみます。触ることの価値を認めたうえで、その前提となる安全な取り扱いの枠組みを並行して整えることが欠かせません。

体感の場を作ることと、扱いの作法を定めること。この両輪が揃って初めて、意思決定層のリテラシーは健全に育ちます。

あなたの組織の律速はどこにあるか

ここまで見てきた国会の光景は、そのまま企業や組織のAI導入に重ね合わせることができます。

組織のAI活用が進まないとき、私たちはつい原因をツールに求めがちです。もっと使いやすいツールがあれば、もっと高機能な製品を導入すれば、と。あるいは、研修資料を厚くすれば、外部講師を呼べば、と。

しかし、定員の2.5倍を集めたあの勉強会が示しているのは、別の答えです。

組織のAI導入の本当の律速は、ツールの優劣でも研修資料の厚さでもありません。経営層や意思決定層が、一度でも自分の手でAIを動かし、「ここまでできるのか」と実感したことがあるかどうか。その一点に集約されます。

リテラシーは座学では身につきません。どれだけ精緻な概論スライドを眺めても、AIは「わかったような気がするもの」のまま残ります。

ところが、自分の業務素材を放り込んで出力が返ってきた瞬間、AIは「自分が扱える道具」に変わります。この転換を経た意思決定者と、経ていない意思決定者とでは、その後に下す判断の質がまるで違ってきます。

さらに、トップが学ぶ側に回るという行為そのものが、組織への強烈なメッセージになります。

考えてみてください。党派も立場も異なる現職の国会議員たちが、ひとりのエンジニアを講師に迎え、頭を下げて手ほどきを受けた。この構図が職場で起きたとき、現場はどう受け止めるでしょうか。

役員が新しい技術の前で謙虚に学ぶ姿は、どんな号令よりも雄弁に「この組織は本気だ」と伝えます。逆に、トップが「現場に任せる」と言って自分は触れないままなら、その姿勢もまた、号令以上に正直にメンバーへ伝わってしまいます。

だからこそ、明日からの一手は明快です。次の経営会議に概論スライドを一枚足す前に、役員が自分の業務素材を持ち寄って、15分でいいからAIを実際に動かす場を作ってください。

完成度は問いません。自分の仕事の素材が目の前で形を変える、その体験を一度でも通すことが、組織全体のAI活用を縛っていた律速を外す最短の道になります。

8年前、技術は「穴に入れるらしい」という伝聞のまま意思決定の場に置かれていました。いま、その同じ場所で、意思決定する人々が自分の指先で技術に触れ始めています。

この移動が、政治の世界だけの出来事で終わるのか、それともあらゆる組織の常識になっていくのか。その分かれ目は、トップが「触る側」に回る勇気を持てるかどうかにかかっています。

参考文献