2026年10月7日の朝、OpenAIが公開した722本の数学原稿の一覧に、「ガウス素数の堀(Gaussian moat)予想を証明した」という一行がありました。1962年に投げかけられ、64年間だれも決着をつけられなかった問題です。

しかし「ガウス素数」と言われても、多くの人の頭に浮かぶのは、高校の複素数で手が止まった記憶くらいです。何が問われ、何が解けたと主張されているのかが分からないまま、ニュースの見出しだけが流れていきます。

この問題は、言葉にするとあっけないほど単純です。

方眼紙の上にちらばった「素数の石」だけを踏んで、決まった歩幅のまま、どこまでも遠くへ行けるか。答えは「行けない」、しかも「どこから出発しても、たどれる島の大きさに上限がある」と、OpenAIの No.028 は主張しています。

ガウス素数の堀 Executive Summary(情報図解)

方眼紙の上にもうひとつの素数の世界がある

複素数の平面のうち、縦横の格子の交点だけを取り出します。a と b を整数として a+bi と書ける点、つまり方眼紙の交点です。これを「ガウス整数」と呼びます。

この点どうしは、足しても掛けても、また方眼紙の交点に戻ってきます。(a+bi)(c+di) を展開すると (ac−bd)+(ad+bc)i となり、実部も虚部も整数のままだからです。足し算と掛け算が閉じていれば、「割り切れる」「これ以上は分解できない」という言葉が意味を持ちます。

こうして、ふつうの整数の素数とそっくりの「ガウス素数」が定義できます。この世界を本格的に切り開いたのは、ドイツの数学者カール・フリードリヒ・ガウスです。4乗剰余(4乗した数の余りの規則)を研究した1832年の論文で、彼はこの整数の世界でも素因数分解がただ一通りに決まることを示しました。

5は割れて3は割れない

ふつうの整数の世界では、5も3も素数です。ところが方眼紙の世界に移ると、5は (2+i)(2−i) と分解できてしまいます。i²=−1 を使って展開すると、4−2i+2i−i²=4+1=5 になるからです。

一方の3は、方眼紙の世界でもどう試しても割れず、素数のまま残ります。2もまた (1+i)(1−i) と分解できるので、ここでは素数ではなくなります。

5は (2+i)(2−i) に割れ、3は割れない

素数かどうかは、その数そのものではなく、どの世界で見るかで決まります。

この感覚が、ガウス素数の入り口です。私たちが「当たり前の性質」だと思っていたものが、実は置かれた環境に依存していた、という構図でもあります。

長さの2乗が素数を見分ける物差しになる

ふつうの整数で ±1 を「素因数」に数えないのと同じく、方眼紙の世界でも ±1, ±i の4つは勘定から外します。掛けても大きさが変わらない、いわば「向きを変えるだけ」の数だからです。2+i と、それに i を掛けた −1+2i は、同じ素数の仲間として扱います。

見分けるための物差しは、原点からの長さの2乗、a²+b² です。数学ではこれを「ノルム」と呼びます。

この物差しには、掛け算をすると物差しの値も掛け算になる、という便利な性質があります。2+i と 2−i はどちらも長さの2乗が5なので、掛けると 5×5=25、つまり 5² になります。この性質から、ガウス素数はちょうど3種類に分類できることが分かっています。

ガウス素数の3種類

  • 1+i とその仲間:2を割り切る、ただ1種類の素数です。
  • 長さの2乗が「4で割ると1余る素数」になる点:5, 13, 17, 29 などの素数が、2+i と 2−i のように二つに割れた片割れです。
  • 「4で割ると3余る素数」そのもの:3, 7, 11 などで、方眼紙の世界でも割れずに軸の上に残ります。

5や13が二つに割れる裏には、「4で割ると1余る素数は、必ず2つの平方数の和で書ける」というフェルマーの二平方定理があります。5=2²+1²、13=3²+2² といった具合です。

上下左右の反転と、i を掛ける90度回転で素数は素数のまま移るので、ガウス素数の配置は8方向に対称になります。

方眼紙の上の素数——ガウス素数の分布

実際に点を打つと、レース編みのような模様が現れます。規則的に見えて、どこにも単純な繰り返しはありません。

歩幅を決めて素数だけを踏んで歩く

この模様を池に浮かぶ飛び石だと考え、カエルが石だけを踏んで跳んでいく場面を想像してください。カエルの一跳びは、最大 k までと決めておきます。

同じ石を踏むのは一度きりです。この条件で、カエルは無限の彼方まで跳び続けられるでしょうか。

これが「ガウス素数の堀」問題です。行けないとすれば、カエルのいる島のまわりには、幅 k を超える水の帯、つまり「堀」がぐるりと巡っていることになります。

1本の数直線の上なら、答えはすぐに出ます。n!(1からnまでの積)に2を足した数は2で、3を足した数は3で割り切れるので、n!+2 から n!+n までの n−1 個は、すべて合成数です。

1本の線では行き止まる。平面なら回り道がある

n をいくらでも大きく取れるので、どれほど長い脚を持つカエルでも、数直線の上ではいつか跳び越えられない隙間に出会います。ところが平面では事情が違って見えます。前に石がなければ、横に回り込めばよいからです。

図の下半分は、実在するガウス素数を一跳び2以下でつないだ34歩の経路です。隙間をよけながら、右上へ進んでいきます。平面ならどこまでも行けそうだ、というのが素朴な直感です。

問いの出どころは1962年のストックホルム

この問題は、1962年にストックホルムで開かれた国際数学者会議で、アメリカの数学者ベイジル・ゴードンが提起したとされています。その後、問題は人づてに広まりました。

1970年に最初の本格的な計算結果を発表した J・H・ジョーダンと J・R・ラブングの論文は、「ポール・エルデシュの予想」として紹介しています。その書きぶりは「ガウス素数を飛び石にして、有限の歩幅で原点から無限遠まで散歩できる」という、"行ける"側の言い方でした。

これに対してエルデシュ本人は、1977年の論文で、この問題は1963年11月のパサデナでの会合でモツキンから聞いたもので、ゴードンとモツキンが出した問題だと書いています。そのうえで「問題を正当な持ち主に返す」と結びました。

遠くほど飛び石はまばらになる

なぜ「行けない」と考えられるのか。鍵は、飛び石の密度です。

方眼紙の交点のうちガウス素数の割合を数えると、原点から半径10以内では31.5%あります。ところが半径100以内では15.7%、半径1000以内では10.0%まで下がります。

遠くへ行くほど、足場の石はまばらになる

素数の個数の法則から、距離 r のあたりの石の密度は、おおよそ log r(r の自然対数)に反比例して薄くなっていきます。ゆっくりですが、どこまでも確実に減っていきます。

沖へ出るほど飛び石の間隔が広がっていく池で、カエルの脚の長さだけは変わらない。そう考えると、平面でもいつかは行き詰まりそうに思えてきます。実際、小さな歩幅なら堀ははっきり見えます。

歩幅2の「島」——原点からはここまでしか行けない

歩幅2で原点から行けるガウス素数は、全平面で720個だけです。いちばん遠い点は 42+17i で、原点からの距離はおよそ45.3です。この島の外側の石は、どれも島から2より遠く離れています。

この「島」の計算は、手元で再現すると過去の文献の数値とぴたりと一致します。

計算機が掘り当てた堀の記録

歩幅を大きくすると島は爆発的に広がり、計算機の出番になります。記録は次のように伸びてきました。

  • 1970年:ジョーダンとラブングが、歩幅4が必要なこと(4未満では原点の島を出られないこと)を示しました。
  • 1998年:エレン・ゲスナー、スタン・ワゴン、ブライアン・ウィックが、歩幅√26(約5.1)でも出られないことを計算で示しました。米国数学協会(MAA)の月刊誌に載ったこの論文「A Stroll Through the Gaussian Primes」は、2002年に優れた解説論文に贈られるショーヴネ賞を受けています。
  • 2004〜2005年:東京大学の土村展之氏が、歩幅6(√36)でも原点の島が有限であることを確かめました。38台のCPUで約80時間、1台なら70日かかる計算です。

土村氏の報告では、歩幅√32の島の最も遠い点は原点から約282万の距離にあり、歩幅6では、原点から行ける距離が約8,002万以下に収まることが示されています。一方で、どの歩幅についても「いずれ必ず堀がある」ことは、計算では示せません。調べられるのは、いつも有限の範囲だけだからです。

専門家は「行けない」と読んでいた

専門家の多くは、早い段階から「行けない」側に賭けていました。エルデシュは答えは「ほぼ確実に否定的」だと考え、土村氏の報告も「文献の意見は否定的な答えに傾いている」と書いています。その根拠を理論の形にしたのが、イラン・ヴァルディの1998年の論文「Prime percolation(素数のパーコレーション)」です。

パーコレーションとは、「つながるか、途切れるか」の数学です。コーヒーフィルターの小さな穴が十分につながっていれば水は抜け、まばらなら止まります。森の木が密なら山火事は燃え広がり、まばらなら途中で消えます。

ヴァルディは、ガウス素数をランダムに散らばった点とみなす確率モデルを作りました。そのモデルでは、密度が十分に低い領域ではつながりが必ず途切れます。素数の密度は遠くでいくらでも低くなるので、決まった歩幅の散歩はいつか止まる、という見立てです。

ただし、これは証明ではありません。

素数はランダムではないからです。たとえば 1+i とその仲間を除けば、ガウス素数は a と b の一方が偶数でもう一方が奇数の点だけに現れます。このため、距離1で隣り合う2点が両方とも素数になるのは、原点のすぐそばに限られます。

素数には、こうした目に見える癖と、見えない癖がいくつも重なっています。「ランダムならこうなる」という議論を、本物の素数にそのまま持ち込むことはできません。

この溝が、64年という時間の正体です。2024年にも証明を主張する論文が投稿されましたが、翌日に「堀の幅が正しく計算されていなかった」として撤回されています。

No.028 は何を主張しているのか

OpenAIの No.028 の論文「Bounded-Step Walks on Gaussian Primes」(2026年9月26日付)は、次の定理を主張しています。

どんな有限の歩幅 D に対しても、ある有限の数 B_D があって、歩幅 D 以下でつながるガウス素数の島は、どれも B_D 個以下の石しか含まない。

ここから、同じ石を二度踏まずに歩幅 D 以下で進む道は、B_D 歩より長く続けられないことが従います。つまり無限遠へは行けません。

この主張は、問題の答えより一段強いものです。原点の島だけでなく、どこから出発した島も、同じ上限 B_D で大きさを抑えられるとしています。

ただし、論文が示したのは B_D が存在することまでです。論文自身が「nonexplicit(明示的でない)」と書いています。歩幅6なら島は何個まで、といった数値は、この証明からは出てきません。

証明の骨格は「周期的なふるい」

証明の発想を大づかみに言えば、ランダム性の代わりに「周期性」を使っています。まず、4で割ると1余る素数をいくつか選びます。

それぞれが割れてできる2つの片割れ(5なら 2+i と 2−i)の、どちらかで割り切れる点に「通行止め」の印を付けます。この印の付き方は、一定の大きさの壁紙が繰り返すように、平面全体に周期的に並びます。

そのうえで論文は、選ぶ素数を有限個にとどめても、この通行止めの壁紙だけで、歩幅 D 以下のどんな散歩も無限には続けられないと主張します。選んだ素数そのものの仲間を除けば、ガウス素数はすべて通行止めでない点の上にあるので、ガウス素数の散歩も止まります。島の大きさに上限が付くのも、この周期性のおかげです。

ひとつの島が、壁紙の同じ位置にあたる2点を含んでいたとします。すると、壁紙の周期ぶんずらしても島は自分自身に重なり、島は無限に広がっていることになります。

有限の島ではそれは起きないので、島の石の数は、壁紙1枚分のマス目の数以下に収まります。通行止めに使った素数そのものの仲間を数え足しても、上限は有限のままです。

いちばん難しいのは、「有限個の素数で十分」という部分です。論文はここで情報理論を使います。

通行止めをすべて避け続ける散歩は、選んだ素数ごとの「自分の位置の余り」について、どんどん多くの情報を抱え込む必要があります。一方で、長さ D 以下の一歩が運べる情報量には上限があります。素数を十分に多く選ぶと、この二つの食い違いが矛盾になる、という筋立てです。

論文は、この手法がテレンス・タオの「エントロピー減少法」と方法論的に近いと述べています。また、周期的な通行止めで堀を作る道筋そのものは、1997年にエレン・ゲスナーとハロルド・スタークが小さな歩幅で示し、より大きな歩幅への方針として提案していたものです。

Lean が確かめた範囲とまだ誰も確かめていない範囲

ここが、この主張を受け止めるうえで最も大事な点です。OpenAIは、No.028 の主定理を、証明支援言語 Lean で形式化したと公開しています。Lean は、証明の一歩一歩が論理規則に従っているかを計算機が検査するための言語です。

公開資料から読み取れる範囲は、次のとおりです。

  • 形式化された主張:任意の実数 D について、歩幅 D 以下で互いに異なるガウス素数を無限に並べることはできない、という主張と、島の大きさと散歩の長さが D だけで決まる上限 B 以下に収まる、という主張の両方です。
  • 使っている土台:ガウス整数と素数の定義は、Lean の共通数学ライブラリ「Mathlib」のものをそのまま使っています。軸上の素数や ±1, ±i 倍の仲間も、すべて含まれます。
  • 認めている前提:検査ツール(Comparator)の設定で許されている公理は、Lean で標準的に使われる3つ(命題外延性・商の健全性・選択公理)だけです。
  • 公開ファイルの中身:証明本体は41ファイル、約1万2,700行です。公開されたコードを検索した限り、証明の穴埋めを保留する命令(sorry)や独自の公理宣言は0件です。

このため、No.028 は722本のなかでも、機械による裏付けが主定理まで及んでいる部類に入ります。論文の文章のどこかに誤りがあっても、Lean 側の証明が正しく通っていれば、主張する定理そのものは成り立ちます。それでも「解決した」と言い切るには、まだ段階が残っています。

  • 人間による査読はまだです。論文はGitHub上のプリプリントで、専門誌の審査前の段階です。
  • 第三者が検査を再現したという報告は、確認できた範囲ではまだゼロです。検査がすべて通ることは、公開時点ではOpenAI側の提示にとどまります。
  • Lean が保証するのは「書かれた主張」の正しさです。今回は主張文が問題の定義をそのまま書き下した短いものなので、すり替えの余地は小さいと言えます。ただし、その照合も本来は専門家の仕事です。

数学者の独立助言グループ(AGMAI)は、今回の公開について「これは理解のプロセスの始まりであって、完了ではない」と声明を出しています。英語版Wikipediaの「Gaussian moat」の項目も、10月7日に「OpenAIが証明を主張した」との一文が加わった一方で、冒頭の「未解決である」という記述は残っています。公開から1日の時点で、No.028 を名指しした数学者の検証報告や評価は、確認できた範囲ではゼロでした。

「行けそう」から「行けない」へ

「行けそう」から「行けない」へ

この問題は、直感が二段で動いた歴史でもあります。素朴な直感は「平面なら回り道できるから、行けそう」でした。

専門家の直感は「遠くほど石はまばらだから、行けない」でした。そして No.028 は、専門家の読みのほうに証明を付けたと主張しています。

ここで目を引くのは、結論そのものより、その到達の仕方です。

専門家の「行けない」は、素数をランダムな点とみなす確率の議論に支えられていました。No.028 は、その仮定を使わずに、素数が持つ規則性、つまり周期的な通行止めの模様のほうから同じ結論を引き出したと主張しています。予想が当たったことと、予想の根拠が正しかったことは別物です。

ビジネスの現場でも、「市場はこう動くはずだ」という見立てが結果的に当たることはよくあります。しかし、その見立てがなぜ当たったのかを検証できる形で説明できる組織は少数です。

64年間、計算機は堀の記録を少しずつ延ばし、確率モデルは「たぶん行けない」と告げ続けました。それでも、それは「解けた」の手前にとどまりました。

結論を言い当てることと、その結論を誰でも確かめられる形に組み立てることのあいだには、これほど深い堀があります。No.028 の主張がその堀を越えたかどうかを最終的に決めるのは、これからの数学者たちの検証です。

参考文献