2025年10月、「GPT-5がエルデシュの未解決問題を10問解いた」という投稿がSNSを駆け巡り、ほどなく大半が削除されました。AIが見つけていたのは新しい証明ではなく、すでに図書館にあった論文だったからです。
それから1年。2026年10月6日(米国時間)、OpenAIは社内の未公開AIモデルが書いた722本の数学論文を公開し、その中で、エルデシュが賞金を懸けた予想(賞金は現在、管理サイトの表示で5,000ドル)を「証明した」と主張しています。
賞金を懸けた当の本人は、1976年の講演録にこう書いていました。「払うことになるとは思っていない」。
主張が本物なら、この賞金は誰が、誰に払うのか。その答えをたどると、「AIが解いた」というニュースの読み方が見えてきます。

「10問解いた」は図書館で見つけた答えだった
発端は、OpenAIの幹部ケビン・ワイル氏の投稿でした。「GPT-5が、これまで未解決だったエルデシュ問題10問の解を見つけ、さらに11問で前進した」。
これに即座に反応したのが、エルデシュの問題を集めたサイト「erdosproblems.com」を運営する数学者トーマス・ブルーム氏です。彼はこの投稿を「劇的な誤った描写(a dramatic misrepresentation)」と呼びました。サイト上の「未解決」は、ブルーム氏個人がその問題を解いた論文を知らない、という意味にすぎなかったのです。
GPT-5がしたのは、ブルーム氏の知らなかった既存の論文を探し当てることでした。Google DeepMindのデミス・ハサビスCEOは「これは恥ずかしい」と書き、Metaのヤン・ルカン氏も皮肉で応じます。OpenAIの研究者も、見つかったのは文献の中の解だけだったと認め、元の投稿の多くは消されました。
文献探しそのものは、立派な仕事です。散らばった論文を掘り当てる能力は、研究者にとって実際に役立ちます。
しかし「解いた」と「見つけた」は、まったく別の主張です。ブルーム氏のサイトのFAQには、もともとこう書かれていました。「“未解決”とされている問題が本当に未解決だと思い込まず、取り組む前に自分で文献を調べてください」。
スーツケース一つで問題と賞金を配り歩いた男
ポール・エルデシュは1913年、ブダペストに生まれました。生涯に書いた論文は約1,500本、共著者は511人にのぼります。定まった家を持たず、スーツケース一つで世界中の数学者の家を渡り歩きました。
玄関先に現れると「僕の脳は開いているよ(My brain is open)」と告げ、数日で何本かの論文を仕上げて次の家へ向かう。そんな暮らしぶりは、伝記『放浪の天才数学者エルデシュ』(ポール・ホフマン著、草思社)や、1993年のドキュメンタリー映画『N Is a Number』に描かれています。
言葉づかいも独特でした。子どもは数学で「小さな量」を表す記号から「イプシロン」、神は「SF(Supreme Fascist)」。そして神が持つ「最も美しい証明だけを集めた本」を「The Book」と呼びました。

共著者があまりに多かったため、仲間内で「エルデシュ数」が生まれました。エルデシュ本人が0、共著者が1、共著者の共著者が2、という具合に数える指標で、1969年に数学者キャスパー・ゴフマンが文章にしています。
そして彼は、問題に賞金を懸けました。額は10ドルから1万ドルまで。
受け取った賞金や講演料の多くも、学生の支援や問題の賞金に回したといいます。小切手に記された額は、エルデシュがその問題をどれほど難しいと見ていたかの目盛りでもありました。
日本とのつながりもあります。
1984年2月、エルデシュの来日にあわせて京都大学数理解析研究所が短期共同研究会を開き、本人も講演しました。報告集の序文には、講演が東京や岡山など各地で行われたこと、そして「日程がたびたび変更され」たことが記されています。共著者には角谷静夫(共著7本)がおり、共著者の一人ピーター・フランクルは1988年から日本で暮らしています。
親友トゥランと始めた宿題
賞金の物語は、一人の親友から始まります。
エルデシュは1930年9月1日、ブダペスト大学の数学ゼミ室でパール・トゥランと出会いました。エルデシュ自身の回想によれば、二人の共同研究は46年続き、共著は28本。交流が途絶えたのは、エルデシュがアメリカに、トゥランがハンガリーにいた1942〜45年の戦争の時期だけでした。
トゥランはその戦争の間、ユダヤ系であることを理由に労働奉仕に駆り出されていました。戦後に再開した手紙のやりとりは、二人それぞれの回想に残っています。
1936年、二人は共著論文で一つの問いを立てます。「等差数列」を含まない数の集まりは、どこまで大きくなれるのか。等差数列とは、3, 5, 7 や 10, 20, 30 のように、同じ数ずつ増えていく並びのことです。
エルデシュの回想では、二人は1932年に「全体の中で一定の割合を占める数の集まりなら、どんなに長い等差数列も含む」と予想していました。40年以上解かれなかったこの予想には1,000ドルの賞金が懸かり、1973年初め、ハンガリーの数学者エンドレ・セメレディが証明します。翌1974年、エルデシュは賞金を支払いました。
5,000ドルの問題は何を言っているのか
エルデシュは、その先にもう一歩踏み込んだ予想を残していました。手がかりは、素数の中に隠れた等差数列です。

5, 11, 17, 23, 29 は、6ずつ増える5つの素数です。次の35は5×7なので、この列はここで途切れます。
素数は先へ行くほどまばらになり、全体に占める割合は0に近づいていきます。それでも、もっと長い等差数列を隠しているのでしょうか。
エルデシュが目をつけたのは「逆数の和」でした。集まりに含まれる数 n をそれぞれ 1/n に直し、全部足していきます。

平方数(1, 4, 9, 16…)の逆数は、いくら足しても1.6449あたりで頭打ちになります。これに対して素数の逆数は、1000万まで足しても約3.04と歩みは遅いものの、際限なく増え続けます。この「際限なく増える」状態を、数学では「発散する」と言います。
エルデシュの予想は、こう言い切ります。
逆数の和が発散する数の集まりは、どれも、いくらでも長い等差数列を含む。
1974年の論文で、彼はこの予想に2,500ドルを懸けました。トゥランが亡くなった1976年、追悼の講演では3,000ドルに上げ、こう書き添えています(引用は筆者訳)。
この予想が正しければ、どんな k に対しても、等差数列をなす k 個の素数が存在することになる。この一言で、読者はこの予想がいかに難しいか納得するだろう。実際、私は払うことになるとは思っていないし、よくこう言ってきた。「去る(leave)ときには、これのためのお金を残しておかないと」(後の leave は、もちろん死のことだ)。
現在、erdosproblems.com はこの問題の賞金を、記録上の最高額である5,000ドルと表示しています。同サイトで5,000ドルが付いた問題は、この1問だけです。

この予想の大きさは、二つの有名な定理を丸ごと含んでしまう点にあります。一定の割合を占める集まりも、素数全体も、逆数の和は発散します。予想が正しければ、セメレディの定理も、2004年にベン・グリーンとテレンス・タオが証明した「素数はいくらでも長い等差数列を含む」という定理も、一度に従います。
後者は、2006年にタオ氏がフィールズ賞を受けた際、国際数学連合の発表資料が筆頭に挙げた業績です。それでも本丸の予想は動かず、2015年、フィールズ賞受賞者のティモシー・ガワーズ氏は「エルデシュの数多い予想の中で、おそらく最も有名なもの」と書き、3項の場合さえ未解決だと記しました。その3項の場合を2020年に証明したのが、ほかならぬブルーム氏と共同研究者オロフ・シサスク氏です。

OpenAIが主張したことと機械が確かめたこと
OpenAIが公開した722本は、372の「結果ファミリー」に整理されています。説明によれば、モデルには約4,000問が出題され、1つの結果あたり平均でChatGPT Proの思考時間にして約3時間分の計算を使いました。等差数列の予想は、その159番目のファミリーです。
論文は198ページ、著者表記は「OpenAI」、日付は2026年9月23日。冒頭で「逆数の和が発散する正の整数の集まりは、あらゆる長さの等差数列を含むというエルデシュの予想を証明する」と宣言しています。中身は、等差数列を含まない集まりがどこまで大きくなれるかの上限を押し下げ、それを積み上げると逆数の和が有限に収まってしまう、という組み立てです。
公開された推論の要約には、モデルへの指示も載っています。最初の指示は「証明せよ、または反証せよ」。
続く指示は「3項以上のすべての長さについて、もっと強い上限を示せ。前に出した結果を使ってよい」(筆者による意訳)というもので、最初の結果を土台にさらに先を求めています。要約には、試しては行き詰まる道筋が何度も記録されています。
ここで効いてくるのが「Lean」です。Leanは、証明が論理的に正しいかをコンピューターに一行ずつ確かめさせるための言語です。No.159の説明文書は、Leanで確かめた範囲を次のように書いています。
- 確かめた範囲:逆数の和が発散する集まりは、求めるどの長さの等差数列も含む(予想そのもの)
- 範囲外:論文の主役となる、上限の具体的な数式
予想の部分は機械が確かめた、と主張されているわけです。ただしLeanが保証するのは「書かれた形式的な主張が、書かれた証明から導かれること」までで、その主張が論文の言葉どおりか、新しい結果かは保証の外にあります。リポジトリの説明文も、Leanのない結果には問題がありうると認めています。
公開当日、MITのアンドリュー・サザーランド氏は科学誌の取材に「モデルが公開され、他の人が結果を再現できるようになるまでは、単一のエージェントが一発で問題を解いたという主張は未検証として扱うべきだ」と答えています。10月7日時点で、No.159を名指しして検証した数学者の論評は、確認できた範囲ではゼロでした。
722本の中にエルデシュの名は15回
エルデシュの影は、No.159の外にも広がっています。722本の一覧(CONTENTS.md)でエルデシュの名を探すと、15のファミリーが見つかります。これに、問題の帰属をめぐってエルデシュの名が語られてきた「ガウス素数の堀」(No.028)を加えた16件を一枚にまとめました。

主張の型はさまざまです。
予想の「証明」が大半を占める一方、No.076は「反証」、No.084は予想の「特殊な場合」の解決にとどまります。Leanについては16件中13件に説明文書があり、そのうち4件(No.026、No.084、No.159、No.184)は論文の主張の一部だけが対象です。まだLeanの文書が無いのは、No.011、No.166、No.171の3件です。
目を引く点が二つあります。No.167の論文は、エルデシュの「単位距離予想」を2026年5月に反例で崩したのが「OpenAIの構成」だと、自社の過去の成果を引用しています。その反例について、ガワーズ氏は「人間が書いて数学のトップ誌に投稿していたら、迷わず採録を勧めただろう」と評しました。
もう一つは、エルデシュ問題のサイトとの距離です。16件の論文23本を全文検索すると、erdosproblems.com を参考文献に挙げていたのはNo.025の1本だけでした。No.159はサイトではなく、エルデシュ本人の1974年の論文を直接引いています。
ちなみにNo.028の「ガウス素数の堀」は、エルデシュ本人が1977年の論文で、自分の問題として広まってしまった経緯を説明し、「これで問題を正当な持ち主に返す」と書いた問題です。誰の問題か、誰の手柄かは、エルデシュ自身が気にかけていたことでもありました。
参考文献の側から見ても、エルデシュの存在感は際立っています。筆者が722本の参考文献を集計したところ(2026年10月8日時点の公開版)、引用している結果ファミリーの数が最も多い人間の数学者はエルデシュで、372のうち41ファミリーでした。没後30年たっても、彼の論文はAIの「部品庫」のいちばん手前の棚に並んでいます。
賞金は査読付きの論文にしか払われない
エルデシュは1996年9月、ワルシャワの研究集会のさなかに心臓発作で亡くなりました。83歳でした。「去るときにはお金を残しておく」という冗談は、半ば本当になります。
小切手口座を持たなかったエルデシュの財布は、長年の友人で数学者のロン・グレアム氏が預かっていました。死後もグレアム氏が残された資金で賞金を払い続け、エルデシュが生前に署名した小切手(記念品で換金はできない)か、換金できるグレアム氏の小切手かを選べたといいます。10,000ドルが懸かった素数の間隔の問題では、解いた5人の数学者への支払いに、グレアム氏自身が5,000ドルを足しました。
グレアム氏は2020年に亡くなり、いまは「Combinatorics Foundation(組合せ論財団)」が賞金を引き継いでいます。財団の規程は、はっきりしています。

- 金額の記録:賞金額がエルデシュ本人の出版物に書かれていること(伝聞や講演だけでは不可)
- 数学界の承認:最低でも、査読付きの専門誌に解決が掲載されていること
- 最初であること:それ以前に同等の場で解決が発表されていないこと
- 支払い先:問題を最初に解いた「個人またはグループ」
- 免責:法的な支払い義務はなく、全額・一部・不支給は財団の裁量
これをNo.159に当てはめると、2,500ドルと3,000ドルはエルデシュの論文に記録があります。5,000ドルという額については、エルデシュ自身の出版物での記載箇所が、筆者の調べた範囲では未確認です。そして10月7日時点のNo.159は、GitHubで公開されたプレプリント(査読前の原稿)で、著者は会社名の「OpenAI」です。
規程が支払い先に定めるのは「個人またはグループ」までで、AIが解いた場合や会社が受け取る場合の定めは空白です。OpenAIが専門誌に投稿するかどうかも、確認できた範囲では未公表です。50年前にエルデシュが「払うことになるとは思っていない」と書いた賞金は、いま、払う側の規程がまだ想定していない相手の前に置かれています。
同じ日にエルデシュ問題のサイトは「点数表」をやめた
OpenAIが722本を公開したのと同じ10月6日、ブルーム氏はサイトに「Changes(変更)」と題した文章を載せました。OpenAIへの言及はありません。数週間前から利用者の意見を募ったうえでの決定でした。
サイトは2023年5月に約200問で始まり、いまは1,221問、9,000件超のコメント、約2,000人の登録者を抱えます。その一方で、最近の書き込みの多くは、説明もないままAIの生成した証明を貼り、先取権を主張するためのものになっていた、と彼は書いています。
変更は四つです。
- 問題ごとのコメントと証明の申告を、当面凍結する
- 「未解決」「解決済み」の表示をやめ、解決済みの件数や割合も出さない
- 今後の解決について、誰の手柄かを示す言い回しを使わない
- 質の高い解説を重視する
ステータスを消す狙いを、ブルーム氏は「問題をAIに貼り付けて『未解決→解決』のドーパミンを得ようとする、栄誉狙いの人を遠ざけること」だと説明しました。解決の「速度」から誤った結論が引き出されるのも防ぎたい、と。
文章は、こう結ばれています。
AIは好きに使ってかまいません。しかし、人間の営みとしての数学を手放さないでください。(中略)人間でいてください。あなたの脳を、開いたままに。
「AIが解いた」を読むときの三つの問い
1年前の騒動と今回の主張を並べると、「AIが解いた」というニュースを読むときに確かめるべき点が三つ浮かびます。
- 本当に未解決だったか:答えはすでに文献の中にないか。「未解決」は、誰かの記録の上での話かもしれません
- 機械はどこまで確かめたか:Leanなどの形式的な検証は、主張のどの部分を対象にしているか
- 誰が認めたか:査読や第三者の検証を経ているか。賞金の規程が求めるのも、この一点です
この三つは、数学の外でも役に立ちます。「AIで業務を自動化できた」「AIが不正を見つけた」という社内報告にも、そのまま当てはまります。前からあった答えを拾っただけではないか、検証したのはどの範囲か、第三者は確かめたか。
ブルーム氏が点数表を下ろした判断にも、組織運営に通じるものがあります。解決数という数字を掲げた途端、数字を動かすこと自体が目的になる人が現れ、本来の目的だった理解や議論が細っていきました。指標は、測りたいものの代わりにすぎません。
エルデシュの賞金は、その逆の働きをしてきました。額は難しさの目盛りにすぎず、いまの規程が支払いの条件にするのは「数学界が認めた解」です。報酬の額より、払う前の確かめ方に重きを置く仕組みが、本人の死後30年たっても続いています。
エルデシュはかつて、死ぬときの理想をこう語っています。黒板で重要な証明を書き終えたところで、聴衆の誰かが「一般の場合はどうなんだ」と叫ぶ。自分は振り返って「それは次の世代に任せるよ」と微笑み、倒れる。
その「次の世代」に、いまは機械も加わりました。5,000ドルの小切手を誰の名前で切るのかという問いは、宿題として、まだ開いたままです。
参考文献
- Mathematics manuscript collection(openai/math、GitHub)
- CONTENTS.md:722本の一覧(openai/math、GitHub)
- Quasipolynomial Bounds for Arithmetic Progressions(OpenAI、No.159論文PDF)
- No.159のLean形式化の範囲(openai/math、GitHub)
- No.159の推論要約(OpenAI、PDF)
- Sharing AI progress in mathematics(OpenAI)
- Erdős Problem 3(erdosproblems.com)
- FAQ(erdosproblems.com)
- Changes(Thomas Bloom、erdosproblems.com、2026年10月6日)
- Erdős Problems:賞金の規程(Combinatorics Foundation)
- AI contributions to Erdős problems(teorth/erdosproblems Wiki)
- OpenAI's 'embarrassing' math(TechCrunch、2025年10月19日)
- Leading OpenAI researcher announced a GPT-5 math breakthrough that never happened(The Decoder)
- How AI Tore Through a Mathematical Community(Quanta Magazine、2026年8月3日)
- OpenAI Unleashes Hundreds More Math Results(Scientific American、2026年10月6日)
- Cash for Math: The Erdős Prizes Live On(Quanta Magazine、2017年6月5日)
- Problems(P. Erdős、Mathematica Balkanica、1974年、PDF)
- Problems in Number Theory and Combinatorics(P. Erdős、1976年マニトバ会議、PDF)
- Some Notes on Turán's Mathematical Work(P. Erdős、1980年、PDF)
- Erdős and arithmetic progressions(W. T. Gowers、arXiv、2015年)
- The primes contain arbitrarily long arithmetic progressions(B. Green、T. Tao、arXiv、2004年)
- Breaking the logarithmic barrier in Roth's theorem(T. F. Bloom、O. Sisask、arXiv、2020年)
- Fields Medal 2006:Terence Tao(国際数学連合、PDF)
- 数理解析研究所講究録521「組合せ解析の諸問題」(京都大学、1984年、PDF)
- Paul Erdős(Wikipedia英語版)
- Erdős conjecture on arithmetic progressions(Wikipedia英語版)
- 放浪の天才数学者エルデシュ(ポール・ホフマン著、平石律子訳、草思社、国立国会図書館サーチ)