2026年10月7日の朝、ニュースサイトに「OpenAI、社内AIがリーマン予想の関連難問を証明と主張」という見出しが並びました。数学でいちばん有名な難問の名前に、思わず指が止まった方も多いはずです。

しかし記事を開くと、出てくるのは「ディリクレL関数」「零点のない半平面」「7/8」といった言葉ばかりです。X(旧Twitter)には「今3合目なのか、5合目なのか、自宅を出たばかりなのか全くわからん」という正直な投稿も流れていました。

リーマン予想そのものは、いまも未解決です。

それでも数学者たちが騒然としているのは、1世紀以上だれも打ち込めなかった杭が一本、山の中腹に打たれたと主張されているからです。しかもその杭は、コンピューターによる機械検査には通った一方で、人間の専門家による論文の検証はこれからという、少し不思議な状態にあります。

準リーマン予想 Executive Summary(情報図解)

10月7日の朝にGitHubへ置かれた722本の原稿

OpenAIは日本時間10月7日の早朝、GitHubに「openai/math」というリポジトリを公開しました。中身は、社内の未公開モデルが生み出したとする数学の原稿722本です。

関連する原稿を束ねた「ファミリー」は372あり、その3番目に置かれたのが「準リーマン予想(quasi-Riemann hypothesis)」です。主役の論文は「The Quasi-Riemann Hypothesis: A Zero-Free Half-Plane ℜs > 7/8」で、著者欄は「OpenAI」、日付は9月30日、分量は約200ページあります。同じファミリーには、49ページの別証明と、9ページの関連論文も収められています。

意外なことに、OpenAIの公式ブログは「幅広い新しい数学の成果」と書くだけで、リーマンの名前を出していません。「リーマン予想」の文字が躍ったのは、報道とSNSの側でした。

数字の扱いには注意が要ります。722は原稿の数、372はファミリー(結果)の数、約4,000はモデルに出題した問題の数で、それぞれ数えているものが違います。

報道でよく見る「377」は結果の数ではなく、最後のファミリーの番号です。番号は001から377まで振られていますが、欠番が5つあるため、ファミリーは372になります。

722を4,000で割った値は、「正答率」とは別物です。

リーマン予想は「素数の散らばり方」の予想

素数は2、3、5、7、11……と、1と自分自身でしか割り切れない数です。並びは気まぐれに見えますが、大きな目で見ると規則があり、「x までの素数はおよそ x ÷(x の自然対数)個ある」という素数定理が1896年に証明されました。

クレイ数学研究所の説明は簡潔です。素数定理は素数の「平均的な」分布を決め、リーマン予想はその平均からの「ずれ」について教えてくれる、というものです。リーマン予想は、2000年に100万ドルの懸賞金がかけられた7つのミレニアム懸賞問題のひとつでもあります。

このずれを支配しているのが、リーマンゼータ関数 ζ(s) の「零点」、つまり関数の値が0になる場所です。ζ(s) は 1 + 1/2ˢ + 1/3ˢ + 1/4ˢ + …… という無限の足し算で定義され、オイラーの発見によって素数だけを使った掛け算の形にも書き直せます。

素数の情報が、この関数の零点の位置にまるごと畳み込まれているのです。

足し算が届かない場所でも関数は続いている

ここで、つまずきやすい点があります。1 + 1/2ˢ + 1/3ˢ + …… という足し算が有限の値になるのは、s の実部が1より大きいときだけです。それなのに、リーマン予想は実部が1/2の場所について語っています。

身近な例が等比級数です。1 + x + x² + x³ + …… は、x が −1 と 1 の間にあるときだけ 1/(1−x) に等しくなります。x = 2 を足し算に入れると値は無限に膨らみますが、右辺の 1/(1−x) は x = 2 でも −1 という立派な値を持っています。

ζ(s) も同じで、足し算が通用する範囲の外へ、関数そのものを延ばすことができます。これを「解析接続」と呼びます。

しかも、延ばし方はただ一通りに決まります。複素数の世界の滑らかな関数は、好きな形にこねられる粘土ではなく、一部の形が決まると全体が決まってしまう結晶のようなものです。足し算で決まった部分が、まだ見えない部分の形まで決めています。

延ばした ζ(s) には「関数等式」という対称性があります。零点は実部1/2の線を挟んで、鏡に映したように左右対になって現れます。右側の0.9の位置に零点があれば、左側の0.1の位置にも対の零点がある、という具合です。

零点は「0から1の帯」の中にしかいない

負の偶数 −2、−4、−6…… にも零点がありますが、こちらは「自明な零点」と呼ばれ、素数の謎では脇役です。問題は残りの「非自明な零点」で、これらはすべて実部が0から1の間にある縦長の帯に入っていることが分かっています。

地図にたとえると、左端が0、右端が1の、上下に果てしなく続く細長い帯です。リーマン予想は「零点はすべて、帯のど真ん中の線(実部1/2)の上に一列に並んでいる」と主張します。

計算機では、最初の10兆個の零点が確かに真ん中の線上にあると確かめられています。しかし、無限にある零点すべてについての証明は、1859年にリーマンが予想を書き残して以来、だれも手にしていません。

1世紀以上守れていたのは「端の細い隙間」だけだった

1896年、アダマールとド・ラ・ヴァレ・プーサンは、帯の右端(実部1)の線上には零点がないことをそれぞれ独立に証明しました。これが素数定理の証明の核心です。

その後、右端のすぐ内側にも零点のない隙間があることが示されました。ところが、この隙間は帯を上に登るほど細くなっていきます。1958年のヴィノグラードフとコロボフの手法でも、幅は高さとともにゼロに近づいたままでした。

はるか上空のどこかで、零点が右端にいくらでも近づいて忍び寄る可能性を、だれも排除できていなかったのです。

これまでの零点のない隙間と7/8の柵の比較

ラトガース大学の数論学者アレックス・コントロビッチ氏は、X への投稿でまさにこの点を挙げています(X投稿、OfficeChaiの記事による引用)。同氏によれば、これまでの最良の結果は「上に行けば行くほど細くなっていく領域」で、それを「少し太らせるくらいか」と思っていたそうです。ところが出てきたのは「零点のない帯」でした。

同じ投稿で同氏は「人間がやっていたら、文句なしで即フィールズ賞」とも書いています。

零点のない領域をめぐる年表

高さに関係なく動かない柵が7/8に立った

今回の論文の定理1.1は、リーマンゼータ関数 ζ(s) は実部が7/8より大きいところに零点を持たない、と述べます。どの高さでも、境目は7/8のままです。

この「どの高さでも通用する固定の隙間」があるかどうかを問うのが、準リーマン予想です。論文は同じ結論を、ζ(s) の仲間であるすべてのディリクレL関数と、ℚ(√−3) という数の世界のヘッケL関数にまで広げています。

関数等式の対称性を当てはめると、左側にも同じ柵が立ちます。非自明な零点は、すべて実部1/8から7/8の帯の中に閉じ込められることになります。

臨界帯と零点のない領域

論文自身が、ここではっきり線を引いています。「この定理はリーマン予想およびその一般化版を確立するものではない。リーマン予想は未解決のままである」。

真ん中の1/2から見れば、零点がいるかもしれない範囲は、まだ左右に3/8ずつ残っています。「何合目か」という問いに、山の高さで答えるのは難しいところです。今回の成果は頂上に近づいたというより、崖っぷちがどこまでも続く危うさを、一本の柵で断ち切った種類の前進です。

温度感の物差しとして、Hacker News に数論研究者を名乗る投稿者が書いた評価が参考になります。この投稿者は「人間がやっていたらおそらくフィールズ賞」としつつ、「200年で最大の結果」という評価は誇張だと書いています。今回の結果は1896年の素数定理の証明を強める内容で、その証明より大きいと主張するのは難しい、という見立てです。

素数の「数え間違い」はどこまで小さくなるのか

零点の位置が何を変えるのかは、素数の「数え間違い」で見ると分かりやすくなります。素数定理の近似式で x までの素数の個数を見積もったとき、本当の個数とどれだけずれるか、という誤差の大きさです。

零点が右端に近づけるほど、この誤差は大きくなりえます。逆に、零点がいない範囲が広がるほど、誤差の上限は小さく抑えられます。

x = 10²⁴(1の後ろに0が24個)で、桁の目安を並べます。定数や対数の因子はすべて無視した、ごく大づかみの比較です。

  • x までの素数の個数:およそ 1.8 × 10²² 個
  • リーマン予想が正しい場合の誤差の目安:x の1/2乗、つまり 10¹² 程度
  • 今回の7/8が正しい場合の誤差の目安:x の7/8乗、つまり 10²¹ 程度
  • これまで無条件に言えたこと:x の「何乗」という形では削れず、x を非常にゆっくり増える量で割った程度

10²¹ という誤差は、素数の個数 10²² に比べるとまだ大きく見えます。しかし x が大きくなるほど、x の7/8乗は x に対して確実に小さくなり、比率は限りなく0に近づきます。

素数の数え間違いの上限の桁比較

これまでの無条件の保証は、誤差を「x の何乗」という形で削る手前で止まっていました。7/8という数字は、その壁を初めて越えたという意味を持ちます。

ただし、この前進が効く素数の問いには限りがあります。「x と、そのすぐ近くの x + h の間に必ず素数があるか」という短い区間の問題では、既存の手法がすでにこれより強い結果を持っており、今回の7/8による上積みはゼロです。

「幽霊」と呼ばれた例外の零点が消えた

数論には、100年近くつきまとってきた「幽霊」がいます。ランダウ–ジーゲル零点と呼ばれる、ディリクレL関数の実数軸上で1のすぐ手前に潜んでいるかもしれない例外的な零点です。

1935年のジーゲルの定理はこの幽霊の影響を抑えましたが、その定数は具体的に計算できない形でした。「いつか必ず成り立つが、どこから成り立つかは言えない」という不自由さが、多くの定理に付きまとってきました。

7/8の柵は、この幽霊の居場所そのものをなくします。論文が挙げる帰結には、次のようなものがあります。

  • 平方根の計算:素数 p で割った余りの世界で、ある数の平方根を、乱数に頼らず確実に、高速に求める方法が保証される
  • ヴィノグラードフの予想:最小の「平方非剰余」がごく小さいことの証明
  • オイラーの65個の数:18世紀にオイラーが集めた「適合数(idoneal number)」65個のリストが、実は完全だったことの確認

いずれも論文側の主張で、こうした応用部分は後述するLeanの形式化の対象外です。

「リーマン予想が解ければ暗号が破られる」という解説を目にしたことがある方もいるでしょう。現在広く使われているRSA暗号の安全性は巨大な数の素因数分解の難しさに依っており、素因数分解の難しさは今回の結果の前後で同じです。素数を法とする平方根も、もともと乱数を使えば実用上すばやく計算できていたもので、変わったのは「乱数なしで確実に」という保証の部分です。

機械は確かめた。人間の検証はこれから

今回の公開が過去のAI数学の騒動と違うのは、主定理がLean(リーン)という定理証明支援系で形式化されている点です。Leanは、証明の一行一行が論理的に正しいかを機械が検査するプログラミング言語です。

主定理はLean上でわずか3行で書かれ、「s の実部が7/8より大きければ、ゼータ関数の値は0ではない」と述べています。ここで使われているゼータ関数は、OpenAIが独自に定義したものではなく、数学ライブラリ「Mathlib」に以前からある標準の定義です。都合のよい「別物のゼータ」について証明したわけではない、という点が重要です。

証明の本体は巨大です。外部の個人ユーザーが公開リポジトリから再ビルドした報告によれば、証明が依存するOpenAIのモジュールは2,924個、約48万6,000行に及び、コンパイルに約63分かかりました。Lean標準のカーネルに加え、独立に実装された別のカーネル(nanoda)でも受理され、使われた公理は標準的な3つだけだったといいます。

ただし、この報告は1件だけで、1台のマシンで1回実行したものです。報告者自身が「これはLeanの証明を確かめたもので、論文を確かめたものではない」と注意書きを添え、独立した再現を呼びかけています。

機械は通したのに、約200ページの論文本文を数論の専門家が読み通し、正しいと公に認めた例は、まだゼロです。リポジトリの形式化カタログでも、レビューの状態は「unchecked(未確認)」のままです。

確かめられたことと未確認のこと

人間の関与にも、分からない部分が残っています。READMEは、ゼータ関数の零点のない領域に関する研究を「固定手順の例外」と明記し、11/12版の原稿は「読みやすさのために人間が編集した」と書いています。しかし、例外の中身が何だったのか、だれが何をしたのかは書かれていません。

MITの数学者アンドリュー・サザーランド氏は Scientific American の取材に、手順についての主張は再現できるまで未検証として扱うべきだとし、「証拠(レシート)を求めるべきだ」と語りました。数学者の独立グループAGMAIも同日、自分たちの助言は「成果の影響の判断でも、OpenAIが成果を得た過程の是認でもない」とする声明を出しています。

喜びと戸惑いが同時に広がっている

反応はさまざまです。Anthropic所属の数学者レヴェント・アルポゲ氏は、Xで「準リーマンとジーゲル零点なしに、大きな賛辞を」と称えつつ、研究者が「先を越された」悲しい話にも触れました(X投稿、Latent Spaceの記事による引用)。

前出の Hacker News の投稿者は、自分の2018年の論文がこの結果を使えば3ページ短くなると書き、「こういう論文はおそらく何百本もある」と続けています。証明が正しければ、既存の研究の足場そのものが固くなるということです。

一方、フィールズ賞受賞者らは9月の共同声明で、AI企業が数学の問題をベンチマークとして解こうと推し進めることは「数学という学問と数学コミュニティにとって有害」だと訴えていました。テレンス・タオ氏は公開の数時間前、未解決問題の解がいま「持続不可能なやり方で大規模に収穫されている」と書き、問題を解くことだけを中心に置かない「Math 2.0」を提案しています。

AGMAIの声明は、今回の公開を「人間による理解の過程の、終わりではなく始まり」と位置づけました。

「答え」が先に届く時代に問われる力

今回の出来事は、数学の外にいる私たちの仕事にも通じる構図を持っています。生み出すコストと、確かめるコストの差です。

OpenAIによれば、1つの結果に使った計算は平均でChatGPT Proの思考約3時間分でした(準リーマン予想はこの固定手順の例外とされています)。一方、約200ページの証明を人間が理解しきるには、専門家が相当な時間をかけることになります。

AIが書いた企画書、契約書のドラフト、分析レポートでも、同じ非対称はすでに起きています。そこで効いてくるのは、Leanの事例が浮かび上がらせた二つの問いです。

  • 何が確かめられたのか:機械が保証するのは「書かれた主張」までで、その主張が自分の求めるものと一致しているかは別の問題です。今回なら「標準のゼータ関数について」「7/8について」という主張の書き方そのものが、検証の要でした。
  • 何がまだ確かめられていないのか:応用部分、人間の関与、論文本文の人による検証。確認済みと未確認の境界を一文で言えるかどうかが、AIの成果物を受け取る側の力量になります。

数字の単位をそろえることも同じです。722、372、377、4,000を混ぜた瞬間に、議論は静かにずれていきます。

頂上はまだ先でも地図は描き変わった

1859年、リーマンは9ページの論文の中で、零点についての予想を「当面の目的には不要に思われた」として、ひとまず脇に置きました。それから167年後、約200ページの機械生成の論文が、帯の両端から1/8ずつの範囲に零点はいないと主張しています。真ん中の1/2という頂上は、いまも未踏です。

確かなのは、「零点が端にへばりついているかもしれない」という長年の不安に対して、少なくとも機械が検査を通した柵が一本立ったことです。

その柵の意味を人間が読み解く作業は、いま始まったばかりです。

参考文献