1900年、パリの国際数学者会議。ダフィット・ヒルベルトの講演録は、こう書き出されています。「未来を隠している帳を持ち上げ、私たちの学問の次の前進と、来たるべき幾世紀にわたるその発展の秘密をのぞき見たいと思わない者が、私たちの中にいるだろうか」。

講演録はそのあと、次の世紀の数学者が挑むべき問題を、番号を振って一つずつ並べていきます。番号は23で終わります。8番目の「素数の問題」には、リーマンのゼータ関数の零点が、よく知られた負の整数の零点を除いて、すべて実部2分の1の上にあるという予想が入っています。

それから126年後の2026年10月7日午前6時58分(日本時間)、OpenAIはGitHubのリポジトリ「openai/math」に、社内の未公開モデルが書いた数学の原稿722本を公開しました。添えられたREADMEは、既存の数学の評価で成績が「飽和」したため、未解決の研究課題にまで評価を広げたと説明します。

同じREADMEには、ヒルベルトの第8問題に連なる、ゼータ関数の零点が現れない範囲の研究も名前を挙げて記されています。百年余り数学の行き先を指してきた問題のリストは、いま機械の性能を測る試験問題として使われています。

722本の答案を前にして、その正しさと同じ重さで問われているのは、次の百年の問いを誰が立てるのかということだと藍編集部は考えています。

ヒルベルトの23問からOpenAIの722本へ Executive Summary(情報図解)

数学の進路を決めてきたリスト

ヒルベルトは問題を並べる前に、なぜ問題が要るのかを語っています。「ある学問分野が豊富な問題を差し出している限り、その分野は生きている。問題の欠乏は、消滅か、自立した発展の停止の前ぶれである」。

問題がどこから来るのかについても書きました。ヒルベルトによれば、最初の問題は外の世界の経験から生まれます。

分野が育つにつれて人間の精神は自らの力で新しい問題をつくり出し、やがて「真の問い手」として現れます。23の問題は、その問い手が次の世紀へ渡した一覧です。

20世紀の数学は、このリストを道しるべの一つにして進んできました。2000年、クレイ数学研究所は7つのミレニアム懸賞問題を掲げ、1問につき100万ドルを割り当てました。規程によれば、問題を選んだのは研究所の科学諮問委員会で、焦点を当てたのは「長年解決に抗ってきた重要な古典的な問い」です。

エルデシュが残した問題は、数学者トーマス・ブルームが2023年に200問余りで始めたウェブサイトに集められ、いまは1,221問を数えます。9月11日にフィールズ賞受賞者28名が出した宣言も、この系譜を書き留めています。「著名な問題は、この数学の世界への理解がどれほど深まったかを測るための道標や灯台として、しばしば役立ってきました」。

リストは、次に何を考えるかを決める道具でした。ヒルベルトは23の問題の一つひとつに、その問いがなぜ面白いのか、解ければ何が開けるのかを書き込んでいます。クレイの7問にも、選んだ委員会と選んだ理由があります。

リストを書くことは、数学の進路を指さすことと同じ意味を持ってきたと私たちは考えています。

約4,000問という試験

問題を試験に使うこと自体は、数学の古い流儀です。ヒルベルトは同じ講演録で、ヨハン・ベルヌーイが最速降下線の問題を公に示し、当代の解析学者が「試金石」として自分たちの方法の価値を試し、力量を測れるようにした例を引いています。研究者は問題を解くことで「自分の鋼の鍛えを試す」とも書きました。

ベルヌーイの問題は、誰もが読める形で出題されました。

OpenAIのREADMEによれば、評価の期間中にモデルへ出した問題は約4,000問でした。それを束ね、「適切な水準の重要性」を求めて絞った結果が、17分野・372の結果ファミリー・722本の原稿です。

原稿はいずれもGitHub上のプレプリントで、証明の主張の段階にあります。主結果がLeanで形式化されているのは、722本のうち162本です。

出題について公開されたのは、件数と、1結果あたり平均でChatGPT Proの思考約3時間分という計算量まででした。米高等研究所(IAS)の数学者たちがつくる独立の諮問グループAGMAIは、9月29日の勧告で、まとめて公開する場合にはモデルが解けなかった同程度の難しさの問題がいくつあったか、問題がどう選ばれたかを説明する文書を求めていました。同じ勧告は冒頭で、未公開のモデルで高度な数学の問題を試すこと自体をやめるよう求めています。

OpenAIの側にも理由はあります。『サイエンティフィック・アメリカン』によれば、同社は、数学の問題はAIが本当に賢くなっていることを示す欠かせない試験だとして、速度を落とせない立場を取っているといいます。同社のブログも、社内の最先端モデルを数学などの科学で評価し続けることが重要だと書いています。

問題のリストが試験に転用される過程は、エルデシュ問題のサイトですでに起きていました。ブルームは10月6日、サイトについて「そんな意図はまったくなかった。私はこれらの問題を人間の読者に広めたかった」と書き、手短に述べられる問いが大量にそろっていたことが「AIにとって理想的な見本市」になったと振り返っています。

対照的な場面もありました。数論の数学者フランク・カレガリは公開の当日、結果が届く前に、自分の分野の未解決問題を並べた出題表をブログに載せています。各問10点。

レーマーの問題、アルティン予想、任意の階数のBSD予想、リーマン予想が並びます。カレガリは、どの問題も「はるかに大きな問題のごく特殊な場合にすぎず、その大きな問題を解いても最終目標にはならない」と、問いが面白い理由を添えました。

公開後の追記はこうです。「一方では100点中5点。しかし他方では、やはり腰が抜けるほどすごい」。

括弧の中には「この出題表を渡されていたら、どこまでできたかは誰にも分からない」とあります。

人間の出題表とOpenAIの出題表は、別のものでした。前者は問いごとの理由とともに公開され、後者で公開されたのは、件数と、絞り込みの基準を述べた一行です。

722本は、問いを選んだ側の判断の記録でもあります。何が解かれたかと同じ重さで、何が出題され、何が出題されなかったのかを知りたいと私たちは思います。

収穫される問い

ヒルベルトの講演録には、楽観の一節があります。「数学における問題の供給は尽きることがない。一つの問題が解かれるや、その場所に数多くの問題が現れる」。

その直前には、数学に「我々は知りえない(イグノラビムス)」は無い、という有名な言い切りが置かれています。解いた人が次の問いを見つけ、問いが問いを呼びます。ヒルベルトが描いた数学は、そういう循環でした。

公開の約4時間前、テレンス・タオはマストドンに、AIによる未解決問題の解決について4本の投稿を続けました。「未解決問題の解は、いま持続不可能なやり方で大規模に収穫されている」。

一度「解かれた」問題を「未解決」に戻すことはできず、解があると知られるだけで、別の道筋から新しい洞察を得ようとする人間とAIの試みが「汚染」される、とタオは書いています。その結果、数学の分野全体が、従来のやり方で問題が解かれた場合よりはるかに痩せた土地になる、と。

フィールズ賞受賞者の宣言は、問題が人を育てる材料でもあることを記しています。「学生に問題を提案する際には、研究やその他の場で前進するための力を十分に備えられるよう、能力を育むことを主な目的とすることがよくあります」。

特集の「ガウス素数の堀」の回は、専門家の直感どおりの結論が、直感を支えていたのとは別の根拠から引き出されたと主張する原稿を扱い、こう書いています。「予想が当たったことと、予想の根拠が正しかったことは別物です。」答えが一つ届くことと、その問いから次の問いが生まれることも、別の出来事です。

ヒルベルトの「一つ解けば多くの問題が現れる」は、解いた人がその問題を理解し、その先の問いを立てることを前提にしていました。解が先に届き、理解が後から追いかける形では、次の問いが湧くかどうかは、理解が追いつく速さにかかってきます。

722本は、その前提を一度に数百の問いについて試すことになりました。問いは尽きない泉であると同時に、収穫の仕方しだいで痩せる畑でもあると私たちは受け止めています。

問いを立てた人たち

特集で読む8つの問いにも、それぞれ立てた人と場面があります。1859年、リーマンはゼータ関数の零点を素数の分布に結びつけた論文を書きました。1917年、掛谷宗一らの論文が東北数学雑誌に載り、図形を回すのに要る最小の広さをめぐる問いの起点になります。

1936年、エルデシュとトゥランは、等差数列を含まない数列についての共著論文を書いています。1944年7月、労働部隊に召集されてブダペスト近郊の煉瓦工場で働いていたトゥランは、レールの交差で台車が脱線するたびに考えました。「では、交差の最少数はいくつなのか」。

1950年の国際数学者会議の講演録で、ホッジは自分が証明できた場合を示したうえで「これより先は、問題は未解決である」と書きました。1960年代の初め、バーチとスウィナートン=ダイアーはケンブリッジの初期の計算機EDSACで実験を重ね、のちにBSD予想と呼ばれる形を見つけています。

1962年、ゴードンは、ガウス素数を有限の歩幅で踏み継いで無限の彼方まで行けるかと問いました。1983年6月27日、グロタンディークはファルティングスに宛てた手紙に切断予想を書いています。

特集のトゥランの回は、その問いの行方をこう書きます。「台車が脱線してから82年。返事は、トゥランが望んだ専門誌ではなく、GitHubのリポジトリに、機械が書いた形で届きました。」

グロタンディークの回は、AIの原稿が日本の研究者たちの定理を部品に使っていることを追い、こうまとめています。「グロタンディークが描いた夢を、日本の、とりわけ京都の研究者たちが30年かけて道具に変え、AIがその道具箱を開けて使った。」

どの問いも、ある人がある場所で手を止めたところから始まっています。脱線する台車、計算機が打ち出した数表、同僚に宛てた手紙。

8つの問いのどれも、機械に出題されるずっと前に、人間の手で問いの形を与えられました。問いを立てる力は、答えを出す力とは別の場所で育ってきたと私たちは考えています。

評価指標に選ばれた仕事

数学で起きていることは、数学の外の仕事にも当てはまります。フィールズ賞受賞者の宣言自身が、そう書いています。「多くの分野や活動において、長年の訓練は、従来、最終的な答えや成果物を生み出すためだけでなく、理解を深め、新たな問いやアイデアを生み出す能力を育むためにも役立ってきました」。

職場のAI導入でも、測りやすい業務から自動化が進み、評価指標に載った仕事ほど速く片づくようになります。議事録の要約、契約書の一次チェック、定型の調査。どれも、かつては新人に渡されていた練習問題でした。

答えを出す部分がAIに移ると、成果の速さは上がり、問いを立てる練習の場は細ります。特集のエルデシュの回は、解決数の表示を下ろしたサイトの判断を組織運営に引きつけて、こう書いています。「指標は、測りたいものの代わりにすぎません。」

組織に最後まで残る希少な仕事は、次に何を問うかを決めることだと私たちは考えています。AIに渡す「問題のリスト」を誰が書き、何を理由に選んでいるのか。経営はそれを自分の言葉で説明できるようにしておくべきです。

次の23問

AGMAIは10月6日の声明で、今回の公開を「人間の理解と、その成果を数学の知識に組み込む過程の、始まりであって完了ではない」と位置づけました。同じ声明は、数学研究の未来はAI企業が出した結果を理解することだけでは成り立たないとし、数学者は「自らの問いを立て、自らの方法を育て、AIシステムの能力の見本として選ばれていない方向を探れなければならない」と書いています。

722本の全体像は、続く「722本の地図」が受け持ちます。そこから8つの問いへ進めます。

ヒルベルトの講演録は、問題の列を書き終えたあと、こう結ばれています。「新しい世紀が、この学問に才能ある巨匠たちと、熱意にあふれた多くの弟子たちをもたらさんことを」。ヒルベルトが最後に願ったのは、答えより人でした。

帳の向こうに並べる次の問いの列を、誰が書くのか。その席は、まだ空いています。

参考文献